未来の約束

典華様へ相互記念



カッカッカッ………

薄暗くなりつつある、森の中、木の幹にぶつかる小さな音。
その音は、30分ほど前から続いていたが、今のようにきちんと規則正しい音が続くことはまれだった。それを証明するように。

ガチン

「っなんでっ!!!」

悔しそうな、今にも泣き出しそうな子供の声。
だが、しばらくすると又、ガチンと次にはボトッと何かがどこかに落ちた音。

「なんで…なんで…?」

力無く、ぺたりと座り込んだのは、まだ7,8歳ぐらいの小さな男の子。ぴょこんと頭の上で一括りされている黒髪が、しゅんと揺れた。
しばらくすると、男の子の黒い瞳が潤み始めた。だが、泣くまいと、自分に言い聞かせている彼は、横に首を大きく振りそれを我慢する。鼻の上にある傷を手でぐしぐしと擦り、ふうっとため息をつく。

「どうしてできないんだろう…?」

自分の未熟さが悲しくて、情けなくて、悔しくて。
男の子の声は段々と小さく…

「父ちゃんの馬鹿ーーー!!!」

…なるかと思われた男の子は、大声で叫んだ。
すると。

「うわぁっーーー!!!」

ドサドサ!バキバキ!!!!

「!?」

唖然とする男の子の目の前に、突然降って来たものは。

「ってぇ…」

地面に激突する寸前で、どうにか受け身を取ったものの、背中を打ってしまったらしい。
ぐうっと唸る小さな影。

「んだよ…いきなり…」

まだ落ちきっていない太陽が照らしたのは、少し夕焼け色に染まった銀色の髪。
それが、上を向いてイルカと目を合わせた。
それでようやく我に返ったイルカは、慌ててその子に駆け寄る。

「だ…大丈夫!?」
「いきなり叫ぶなよ。びっくりした…って、それで落ちる俺も間抜けだけど…」

イルカの差し出した手を避け、その子は一人で立ち上がる。イルカとそう歳も変わらない、銀色の髪の子供。

「あ…あの、ごめん…ね?」

先ほどの言動から、自分のせいでこの子が落ちたと理解したイルカが謝るが、その子はもう気にもしていないようだった。それよりも、薄暗くなって来た辺りを見回し、イルカへと目を落とす。

「もう子供がいる時間じゃない。早く帰れ」

そう言われて。
その言葉の意味をすぐ理解できなかったイルカは、少し考えていたが、すぐ顔を真っ赤にさせた。

「な…なんだよ!!!それっ!!!自分だって子供じゃないかっ!!!」

反論したイルカだが、その子はふんと鼻を鳴らし、木の上に飛び上がろうとする。だが、それは突然引かれた手によって、止められてしまった。

「何…」
「帰るなら君も一緒だよ!!!」
「…は?」

ぎゅっと手を繋いで、歩き出したイルカに、その子は慌て、手を振りほどいた。

「俺はいいんだよ」
「どうして!!」
「…俺は忍者だからいいの」
「え?」

そう言われて、イルカはその子の額に、父と母も同じ額当てを見つけた。それを見てイルカの目が見開く。

「忍なの…?」
「そう、だから俺はいいの。だけどお前は…」
「でも一緒に帰ろうよ」
「…あのね?」
「一緒がいい」

どうしたことか、全く譲ろうとしないイルカに、その子は大きくため息をついた。だが、イルカにも何故そんなにこの子と帰りたいのか、良くわかっていない。一人で帰りたくなかっただけかもしれない。自分と歳も変わらないのに、すでに忍という目の前の子供。知らずのうちにイルカの胸がきゅうっと痛んだ。どうにかイルカを諦めさせようと、話を探していた銀髪の子は、木の幹に刺さっている手裏剣を見つる。

「手裏剣の練習してたのか…?」

ということは、アカデミーの生?
そう聞かれたが、イルカは小さく首を振る。

「僕じゃまだ…アカデミーなんかに入れないよ…全然…下手だもん…」
「……」

触れてはいけない話題だったようだ。
イルカの肩が見る見る内に、小さくなっていく。

「だからいつも練習してるけど…上手くならない…今日は…父ちゃんが教えてくれるはずだったのに…でも父ちゃん…」
「お…おい」

泣く。
そう感じた銀髪の子が慌て始めたが…

「隣のおじちゃんと、馬レースがあるからって、朝から出かけたんだーーー!!!何が懐一杯稼いで来るからだよーー!!!一度も勝ったことないくせにっ!!!!そんな風にお金を使うんだったら、母ちゃんの着物の一つでも買ってあげればいいのにっーーー!!!!あれ、どうしたの?」

何故か地面に突っ伏しているその子に、イルカは首を傾げ、傍に行くとしゃがみ込む。

「どうしたの?大丈夫?」
「………お前ね…」

心配して損した。
のそりと起きあがった銀髪の子は、もうこんな奴の心配は止めようと、一人歩き始める。それに、イルカはとてとてとついてきた。

「帰るの?」
「…ああ」
「じゃ、僕も帰る!!」

ゆっくり歩く銀髪の子と並び、イルカは笑った。しかし、その子はこちらを見ようともしない。妙に疲れた顔で、ただまっすぐ前を見ている。

「あ、君は何でここにいたの?」
「…別に…」
「手裏剣の練習?」
「何で俺が今更…アカデミー生じゃあるまいし」

そう答えて、しまったとその子が口をつぐんだ。ちらりとイルカを見れば、案の定、笑ってはいるものの、イルカは少しだけ傷ついていた目をしていた。

「そうだね」
「……」

手裏剣が投げられないから、練習していたこの子の前で自分は何を言ったのだろう。
自分にまとわりつくこの子が五月蠅くて、つい出てしまった言葉に、後悔した。
先ほどまで、自分を黒い大きな目で見ていたその子は、悲しみの色をたたえ、無言のまま隣を歩いている。
何だかいたたまれなくて、ついこんな台詞が出てしまった。

「…見てやろうか?」
「え?」
「手裏剣…」
「ほ…本当!?いいの!?」

ぱっとその言葉に、満面の笑みを見せたイルカ。全身で喜びを現す、素直な彼に銀髪の子は少し戸惑う。

「じゃ…構えろよ」
「うん!!!」

そうして、名も知らぬ小さな忍との練習が始まった。



「やった!!!」

カッカッっと小気味の良い音と共に、幹に突き刺さった手裏剣。
それに歓声を上げたイルカは、後ろを振り返り、にっこりと笑う。

「ほら、次」
「うん!!!」

その子から手裏剣を受け取って、再び幹へと投げつける。
すると、手裏剣は先ほどと同じく、綺麗に幹へと吸い込まれていった。

「やったぁ!!!」

銀髪の子の指導で、イルカは10回投げれば7回以上成功できるようになった。自分の上達がわかり、イルカは喜びを隠しきれない。だが、銀髪の子はイルカと同じように、喜びはしなかった。

「もう一度」

はしゃぐイルカと対照的に、その子の声は冷静で、そうして手裏剣を渡される度に、イルカは気持ちを落ち着けなきゃと、自分に言い聞かせる。しかし…

「あっ!!」

ひゅっとどこかに飛んでいってしまった手裏剣。あ〜あと残念そうに呟く横から、叱咤の声が挙がる。

「集中しろ。浮かれているからだ」
「う…ごめんなさい…」

銀髪の子の教えは丁寧だが、厳しい。
悪い所は的確な指摘をしてくれ、そのお陰で、投げる姿勢の悪さとか、タイミングを取ることができるようになったが、失敗すると容赦のない声が飛ぶ。
何の感情もない、冷たい目でイルカを見る。
これが同い年の子供だろうか。
イルカは、よく遊ぶ友人達を思い浮かべ、その度に身を竦めてしまう。

「どうした」
「う、ううん。何でもない。拾ってくる!」

どこかへ行ってしまった手裏剣を探しに走り出したイルカ。何故か無性に悲しかった。

「ないな…って!!!」

手裏剣を探している内に、草で手を切ってしまったイルカは、小さく声をあげる。薄皮一枚切っただけなので、血は少ししかでなかった。それを口に含み、今まで練習したせいもあってか、座り込んでしまう。

早く戻らないと…あの子…待たせてるし…でも…
ふいに、銀髪の子の目を思い出して、イルカは戻りたくないと思ってしまった。周りから愛されてきたイルカが始めて見た、目。いたずらをした後、父や母に怒られるのとは違う。
厳しい目だった。

なんで…あんな目…そりゃあさ、僕手裏剣下手だけど…ちょっと外したぐらいで、あんな目でみなくたってさ…
ぶすっと膨れ、小さくため息をつく。

お前は忍の子だから、将来は忍だな。
両親の友人から良く言われたこの言葉。最初イルカは何も知らなくて、うんと返事し、そうなるものだと疑っていなかった。しかし…最近は、本当に自分は忍になれるのかと思い始めてきた。
だからだろうか、色々なことに身が入らなくなってきたのは。


両親の友人達が、暇つぶしのように色々なことを教えてくれたが、イルカは一向に上手くなる気配がなかった。術にしても、隣で教えてもらっている時は上手くいくのだが、次に会えば必ず失敗する。簡単な術でもそうなので、次第に彼らはイルカに忍術を教えなくなってきた。それになんとなく気づいた両親は、毎日練習すれば大丈夫だと言うが、イルカにしてみればそれは気休めでしかなかった。

そんな自分が嫌で、だから、やっと休みの取れた父親に無理を言って、今日手裏剣の投げ方を教えてもらおうとしたのに。

父ちゃんも…無理だと思ってるのかな。
だから、自分との約束を破ったのだろうか。
忍の子のくせに、何もできないから。
もう駄目だと見捨てられてしまったのだろうか。
自分は…両親のように、忍になることは無理なのだろうか。

嫌な考えがぐるぐると、頭の中を回り続ける。

「戻ら…ないと…」

あの子が待っている。こんな下手くそな自分につき合ってくれているあの子が。
だが何故か体がそれ以上動かない。立ち上がろうとしても、力が入らない。
銀髪の子と会う前から、一人で練習していたため、体力がなくなってしまっていたのだが、今のイルカが気づくわけはなく。

「こんなんだから…」

父親に見捨てられるのだと、イルカはついに瞳からぽろりと涙をこぼしてしまった。

「どうした…?」

はっとイルカが振り返れば、いつまでも戻らないイルカを探しに来た、銀髪の子。
泣いているイルカを見て、しまったという顔をしている。そして、困ったように頭をかいて、イルカの傍にしゃがみこんだ。

「悪い…俺…手加減とかできないから…」
「う、ううん!違う!違うんだ!!!」

泣いているのは、君のせいじゃなくて、自分が情けなくて、ふがいなくて…

「僕…忍者になれるのかな…こんなに下手くそで、術も全然上手にならないし…」

ぽろりと出てしまった本音に。
銀髪の子は黙ってしまった。

やっぱり自分じゃ駄目なんだ。
イルカが最後通告を受けたように、うなだれている中、銀髪の子がイルカから目線を外して言った。

「一瞬の…」
「え?」
「一瞬の油断が命取りになる。たかが、一つ手裏剣が外れただけかもしれないけど、それで、仲間が死んでしまうこともある。そして大切な人を失ってしまう…もう何もできない自分は…嫌だから…」
「…」

過去に誰かを失ってしまったのだろうか。
苦しげな、それまでとは違う辛そうな顔。
イルカは先ほどの自分を思いだして、自分は、何を浮かれていたんだろうと思う。
忍の世界の厳しさは、両親を見ていて知っていたはずなのに。
ぼろぼろになって帰ってくる両親を見る度に、無事だったと、生きて帰ってきてくれたと、悲しいような嬉しいような気持ち。
彼らを失ってしまうことを、いつも恐れているのに。



二人を…失う?



一つの失敗が。



自分は…そのことをちゃんとわかっていただろうか?一度できないからって、すぐに諦めて、何も努力しないで、一人で膨れて、悲しんで、人のせいにして。

自分のミスで、誰かを失ってしまうということを。
ちょっとした油断が、すべてを奪う世界に。


入っていく覚悟はできていた……?



…だから、銀髪の子は、イルカが失敗すると怒る。 それは自分だけでなく、仲間を危機に陥れることだから。
失敗が許されない世界に身を置いているからこそ、厳しい。
その重みをつねに心に置いているから。


自分と同じぐらいなのに。
自分と変わらないのに。

この子は、もう忍………




僕は…なれる?




いや…なりたい。

僕も。この子のように。

両親や大事な人を…守れる強い忍に。大切な人を失わないために。




忍になりたい。




始めて強く思った。
心の奥底から忍になりたいと、思った。

「僕も…」
「え?」
「忍になれるかな?」

それまでとは違う、甘えの消えた真剣な顔で尋ねるイルカに、その子は小さく笑った。

「努力すればな」
「む〜あ!そうだ!!ね!そうしたら、一緒に任務とかできる?」
「は?俺…と?」
「うん!!!」

ずいっと近づいてきたイルカに、わずかに身を反らして、銀髪の子は意地悪く笑った。

「もっともっとがんばればな。手裏剣を外すようじゃまだまだ」
「む。がんばるもん!!!がんばって…ちゃんと忍になって、君も守れるようになるもん!!」
「…は?俺を…守る?」
「うん、だって君友達だもん。友達は大事だもん、だから君も守れる忍になるんだ!」

今日会ったばかりだというのに、当然のようにそう宣言するイルカに、銀髪の子はあっけに取られた。
まだ、忍にすらなっていない、手裏剣一つ投げられない子供がだ。
だが、不思議と悪い気はしなかった。
くすりと笑うと、イルカも笑い返し、暗い森の中に笑い声が広がった。二人が笑い合っていると、ふいに銀髪の子が後ろに振り向いた。

「どう…」
「どうやら、迎えが来たようだぞ」
「え?迎え?」
「じゃあな」
「え…まっ…!」
「楽しみにしてるよ」
「え…」
「いつか一緒に任務ができる時を」

そう言い残してその子は消えた。と、同時に自分の名を呼ぶ声が。

「イルカ〜!!!!俺が悪かった〜!!!」
「父ちゃん」

がばーーっと抱きついてきた父に、イルカは苦しくて、引き離そうとするが、父はぎゅううっとイルカを抱きしめ離さない。

「ごめんな、ごめんなっ!!今日一緒に修行する約束だったのに!!!」

母に殴られたのだろうか、闇夜でもわかる父の頭にあるたんこぶ…それにため息をついてイルカは首を振った。

「…いいよ。父ちゃん。許してあげる」
「ほ、本当か!?」

ぱっと喜んだ父に、イルカはにっこりと笑ってこう言った。

「父ちゃん、僕絶対に忍になるから」
「え?」
「大切なものを守れる忍になるんだ」

今までとは違う、決意の籠もった顔に、父親はふっと小さく笑う。だがすぐにイルカの顔は、年相応のいたずら好きな子供に戻った。

「それに。父ちゃんが約束破ったお陰で、僕はすごーーーく良いことあったから。ああ楽しみだなぁ」
「イ…イルカ?それはどういう…」
「あーお腹空いた!早く帰ろうよ!父ちゃん!」
「う…うん、イルカ…」

息子のそれ以上教えないとスマイルに、彼の怒りが解けてないことを感じながら、親子は家へと帰路についたのだった。


約束だよ?




「カカシ〜悪かった〜!!!!」

帰った早々、がばりと抱きついてきた師をさっと避け、カカシは大きな欠伸を見せた。

「あ〜腹減った」
「あ!食事の用意はできてるよ!ほら!」

何とか機嫌を取ろうとしている師を、胡散臭そうに見ながら、取りあえず、腹を満たすべく箸を動かす。

「で?」
「ああ!これね!はい!お返しします!!!」

と言いながら、師が差し出したものは…カカシの覆面だった。カカシの師…四代目火影とは思えないほど、おどおどとして、彼はカカシの機嫌を取ろうと必死だった。

「もうこんないたずらしないからさ、機嫌直してくれよ!」

いつも護衛としているカカシがいなかったせいで、別の人物から一日中、火影の心得について説教を食らった彼は、心底反省しているようだった。しかし、カカシはどんなに四代目のいたずらや、からかいを受けても自分の責任を放棄したことはなかった。その彼がそれをするほどした四代目のいたずらとは…

…朝、起きたら覆面がなかった。しかも、タンスに入れた替えの分まで。
こんなことをするのは、一人だけだと四代目に詰め寄れば。

「たまには素顔でいたら〜?」

そう言われ、切れたカカシは、外に飛び出したのだった。
誰にも会いたくなかったから、取りあえず人気のない所で修行して、疲れたからちょっと休憩した木の上で寝ていれば、不覚にもあの男の子の声に驚いてしまって…

でも、少し楽しかったかな…?
俺を守る…ね。
将来自分と一緒に任務をしたいと、この自分を守りたいと言った、くりくりとした真っ黒な瞳を思い出して小さく笑う。約束という言葉はあまり好きではなかったが、あんなことを言う子供とならしてみても面白いかもしれない。
珍しいカカシの反応に、四代目が驚き目を見開く。

「何かいいことでもあったのか?」
「…まぁね」

立ち上がり、背を向けようとしたカカシは、意地悪い笑みを見せる。

「将来、一緒に組みたい奴見つけたんだ。楽しみだな」
「え!?それはどういう…カ、カカシ!?」
「そうなったら、誰かさんの護衛なんぞ、絶対やらないけど」
「カカシ〜!!!!????」

もっと反省しろと、小さく舌を出したカカシは、その約束が果たされる日を心待ちにしている自分に気づいた。

未来の約束・完